OkOgeのブログ

地方で楽しく生活することをテーマに日々あったことをつづります。

大学には行く必要ない?―ちょっと真面目に考えてみた

昨今はSNSやインターネット上で有意な情報が手に入りやすくなったので、安価に勉強ができるようになりました。
語学を勉強するにしても、プログラムの勉強をするにしてもネットの世界には教材となるようなソースはたくさん落ちているし、国内外の有名大学の講義をオンラインで視聴することもできる、優秀な人とコンタクトをとることはかつてよりずっと容易になりました。
このような中、「大学に行く必要はない」との声が高まっているように感じます。たとえば、購読しているイケダハヤトさんのブログにこんな記事が載っています→http://www.ikedahayato.com/?p=5938
ここで言われている内容は、一理あります。
ホリエモンの、大学の先生の書いた本を読めば勉強できるのだから、わざわざ講義を受ける必要がないという発言内容も、おっしゃるとおりかもしれません。

アップルのスティーブ・ジョブスfacebookマーク・ザッカーバーグも、そしてホリエモンも大学を卒業していない。
にもかかわらず、社会的に成功しているので(ホリエモンがそこに分類されるかは議論の余地があるかもしれませんが)必ずしも大学を出る必要はないという話になるのももっともらしいように見えます。

しかし、「大学に行く必要はない」は限られた人にだけ通用する考えだと感じます。たとえば、

・組織に属して働くことを最初から選択しない人(起業家?)
・自分の目指す方法性が明確な人

ではないでしょうか?

ジョブスやザッカ-バーク、ホリエモンが大学を中退できたのは在学中からやりたいことが明確であったから。
自分の方向性が定まっている人にとっては、目的を達成することに関係のあること以外はムダに感じられるでしょうし、大学に通う時間とお金は浪費以外の何者でもなかったかもしれません。
そして彼らは、自分の会社を興しています。雇われない生き方を自分で選択する度胸と熱意、そして能力があった人たちなのだと思います。


一方、日本の中央官庁、大企業、国際機関などでは大学を卒業していることが受験資格の要件になっていることも多いです。
組織に属して働く場合、やはり大学を卒業していることは最低条件なのです。


大学で勉強することのメリットは、特に1、2年時には履修科目の好き嫌いを許されないことにあると思います。
興味のないこともほどほどに勉強しなければならないのは、合理性の面から言えばムダです。
でも、受けてみたらおもしろかったということもありますし、それがきっかけとなって新しい分野に興味を持つこともあり得ます。別の場面でそこで得た知識が役に立つこともあるでしょう。

自分で勉強する場合は、どうしても勉強する科目に偏りが出てしまいます。

個人的に大学の存在意義は、多面的な考えをする、考える枠組みを増やすためだと思っているので、安易に「不要」と切り捨てることには抵抗があるのです。

もちろん、やりたいことが決まっている場合は、関連する事項だけを追求した方が伸びが大きいことは否定しませんが。

余談ですが、「大学は必要ない」と主張する人はどんな人なのでしょう。
勝手な推測ですが、行ってみた人が、結果論で言っているのではという気もします。それはそれでいいと思います。
でも、行ったことのない人が、そう結論づけるのは早急なのでは。。と。


極端な話、独立起業はいつだってできるわけですが、組織で働くには条件をクリアしている必要があるわけで、大学に行かないということは最初から可能性を切って捨てるようなものです。

大学なんて、外部的な強制力に頼らなくても多角的に物事を考え、主体的に人生の選択をできるいう人もいるでしょう。でも、それは大学に行ったら実現できないことなのでしょうか?そしてそれが最初からできる人はよっぽど賢い人です。

だから、そういう断りもなしに、キャッチーなメッセージを送ることは危険に思えるのです。

一番いいのは、なんとなく大学に行くのではなく、自分に必要なものを見極める姿勢を持って通うことなんでしょうね。

それができていたら、誰も苦労はしませんね(^^;)