OkOgeのブログ

地方で楽しく生活することをテーマに日々あったことをつづります。

自分のアタマで考えるって?新聞コラムから考えてみた

6月の英検1級の合格を目指し、The Japan Times Weeklyの購読を始めました。英文を一定量読むことで速く読めるようになる仕組みを作る必要があると思ったからです。

ジャパンタイムズ社の新聞は他にも週刊JT、日刊のJapan Timesも無料サンプルを取り寄せて見ましたが、その中でこれが一番合っているように感じました。
日本語でさえ毎日読まないわたしにとって、日刊はやっぱりキツイ。週刊JTは日本語が多く英文記事の本数も少なく、お勉強用だと感じたのでweeklyに。
こちらは一週間分の国内外のニュースがコンパクトにまとめられている上、主要な記事には日本語の概要がついているので大きく誤読をすることもなく読めると思ったからです。

でも、ただ漫然と読むだけではもったいないなーと思ったので読み方も考えました。

1.興味のない記事は読まない。

とにかく読む量を増やすためです。
元ジャパンタイムス編集長の伊藤サムさんの本に書いてありましたが、英語の勉強をしようと思って律儀に1面から読み始めと苦痛になり、勉強効果が上がらないそうです。
興味があれば、たとえ難しい単語が使われていても最後まで読もうとするため、結果として読む量が増えるから。


2.300〜400ワード程度の記事は、単語や意識しながら読む。
お勉強用です。


3.オピニオンにも必ず目を通す。

実は3が今の自分には一番必要だと考えています。
先日、TOEFLのお試し受験をしたとき、意見を求められたときにすぐに意見を言えないことを痛感しました。英語で話す以前に日本語での回答が思い浮かばないのです。
そこでオピニオン欄を読んで、自分なりの考えをまとめる練習をしようと思い立ちました。
単なる感想めいたものではなく、それについて自分はどのように考えるか、なぜなら〜と、とりあえずは日本語で言えるようになろうと。


今週のオピニオン欄に「Expensive education 学費は高く援助は少ない国」というものがありましたので、これについて考えたことをまとめてみようと思います。

記事の内容はこんな感じ。

経済協力開発機構OECD)の調査によると、日本は他の加盟国に比べ、教育費が高く、公的支援が少なすぎる。教育がもたらす経済的恩恵は大きく、特に女性は所得で大差がつくという結果がでている。(中略)教育は権利と所得向上だけの問題ではない。OECDによると、世界各国で大卒者は高卒者に比べ、生活への満足度が高く、健康状態が良く、市民生活への参加も高い。教育への投資は、人々に多くの恩恵をもたらすのだ、」

まず、「教育費が高く、公的支援が少なすぎる」という点については、比較データを持っていないので詳細は分かりませんがそうなのだと思います。

次に「教育がもたらす経済的恩恵は大きく、特に女性は所得で大差がつく」という点に関しては、一般的には、そのとおりなのだと思います。特に途上国には識字率の低い国もまだまだありますし、パキスタンだかアフガニスタンには女性に教育や訓練を施し、収入を得られるようにすることで自立を促す活動があると聞いたことがあります。でも、少し疑問に感じます。教育費が高いという前段の話に関しては日本の話をしていますが、二点目も日本の話をしているのでしょうか?

先日読んだ朝日新聞の就活エトセトラというコラムhttp://www.asahi.com/job/syuukatu/2013/etc/OSK201202240040_01.htmlでは、最近の就活の傾向として早慶のような世間一般では高学歴と呼ばれる女性が、 総合職ではなく一般職を希望するということが書いてありました。女子学生側としては、働きたいけどバリバリは嫌だ、転勤はしたくない。いざとなれば自分の親世代のように専業主婦にもなれるという選択肢を持っておきたいと考えていて、企業側は安い賃金で優秀な人材を雇いたいのでむしろ望ましいとさえ考えている。一般職の底上げにもなる一方で、辞めてくれれば定年まで働かないので人件費がかからなくて大助かり。という内容だったと思います。

女子学生だけでなく、今の就職事情その他を考えるとそのような日本の状況で、果たして「教育を受けていること=経済的恩恵が大きい」という図式が成り立つのか。

そもそも、日本の場合、学生を採用するときにこれこれの能力を求めているので、結果としてこれこれの学歴が必要ですという採り方をしていないのが問題なのかもしれませんが。実は会社もよく分かってないから、とりあえずいろいろこなせると考えられる学生を採っておこうかなという認識しかないのかも。
だから、このオピニオン記事は日本の場合には必ずしもあてはまらないと思います。高等教育を受けていることがそのまま経済的な恩恵に直結するとは言えなくて、経済的な恩恵を受けられると期待される会社や組織に所属するためのパスポートを得るという意味合いが強いのではないでしょうか。

そんな実体のないもののために、多くの時間とお金をつぎ込んでいるというのが今の日本の状況なのではないでしょうかね。
本来、教育には単なる知識を習得することだけでなく、それ以上の意味があるはずなのに、日本の場合は教育を受けるとはどういうことなのか考えて享受している人は極めて少ないのではないのか、そんな風に思います。

オピニオン記事の後半「教育は権利と所得向上だけの問題ではない。・・・世界各国で大卒者は高卒者に比べ、生活への満足度が高く」というところは本来の教育の趣旨にかなったものであると思います。
少し前、購読しているブログquippedにこんなエントリがありました。http://j.ktamura.com/this-is-water
アメリカの作家David Foster Wallaceが2005年にKenyon大学でした卒業スピーチをquippedの著者が訳したものとのこと。スティーブジョブスのスピーチよりも奥深いとして紹介されています。ちょっと長いですが、わたしはこの記事を読んで以来、ずっと頭の片隅でこの内容について考えてしまっています。
以下に特に気になったところを引用します。

「いわゆる現実社会は、君たちがデフォルト設定で生きていることをよしとしています。というのも、いわゆる現実社会は、人とカネが、恐怖、怒り、苛立ち、欲求、そして自己崇拝の渦の中で、楽しくやっているものだからです。

特に大事な自由が、まわりに注意を払い、意識的にものを見つめ、自制心を持つことで得られる自由。誰にも見えないところで、毎日毎日、自分以外の人々のことを思い、彼らのために犠牲をはらい生きる自由。
それこそが本当の自由です。それこそが本当に教育を受けるということです。それこそが自分の頭で考えるということです。無意識、デフォルト設定で、小競り合い、モノやカネを持っている持っていないに執着する無限ループの対極にある生き方です。

シンジツとは、死の前にある生のためのものです。

シンジツとは、本当の教育の本当の価値のことです。それは知識とはほとんど関係のないもので、たった一つのコトに集約されます。限りなくリアルで、根本的で、でも我々の目にはなかなか見えず、絶えず自分に言い聞かせなくてはいけないコト。

意識的に、社会人生活を日々送ること。これが非常に難しい。「教育は一生の仕事だ」という、これまたありふれた表現になりますが、事実なのです。そしてその教育は、今、この場所で始まります。」

少し前から書店やネット上で話題になっているchikirinさんの『自分のアタマで考えよう』とはちょっと毛色が違いますけど、通じるものがあるのではないでしょうか。

わたしはかなりおおざっぱなので面倒くさくなると、「ま、いっか」で済ませることも多いのですが。。