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OkOgeのブログ

地方で都会並の生活水準を実現することをテーマに日々あったことをつづります。

【読書メモ】弱者の居場所がない社会

こんな本を読んでみました。

弱者の居場所がない社会――貧困・格差と社会的包摂 (講談社現代新書)

弱者の居場所がない社会――貧困・格差と社会的包摂 (講談社現代新書)


反貧困―「すべり台社会」からの脱出 (岩波新書)

反貧困―「すべり台社会」からの脱出 (岩波新書)


購読しているイケダハヤトさんのブログで紹介されていたので、読んでみようかなと。
でも実はもっと前からこのテーマには関心があったのです。

最近見聞きするのは300万円のライン。
年収300万円を境に結婚できるかどうかが分かれるらしいですね。
300のラインは総支給額なのか、手取りなのか。もし、手取りだとしたら正規雇用とは言え、一般的な20代は貧困ラインとギリギリのところで生活しているんじゃないかな~と思ったわけです。衣食住には困ってはいないけど、首都圏に一人暮らしの人で余裕のある生活を送れている人は限られてくるのではないかしら。
生活していくのに最低限なものと、「健康で文化的な生活」というものの間には結構な差があるようにも感じられます。

『弱者の居場所がない社会』では、イギリスで開発されたという「ミニマム・インカム・スタンダード」という手法が紹介されています。この手法は、調査票方式の多数決によって必需品が決定されるのではなく、「架空の人物Aさん」が生活するための必需品をグループで討議するものだそうです。
たとえば、一人暮らしだからお茶碗は一つで済むというのは単なる平均で求めた「最低限」ですが、グループインタビューで出される結論は「自分用とお客さんの二つはいるよね」というように発想していきます。
靴も必要数を決めるのも、「運動靴ではお葬式にはいけないから、黒の革靴が1足は必要」などと考えるのです。
どちらがよりリアルかは分かりますよね。
そう考えると、政府や自治体が算出する「生活費」はリアルな生活からはかけ離れているんだろうなと思ってしまいます。


貧困や格差の問題は、貧困や社会的排除の状態にある人が多いことが問題だからではなく、格差が大きいことそれ自体が社会全体にとって望ましくないからという視点は興味深いです。

格差が大きい国や地域に住むと、格差の下方に転落することによる心理的打撃が大きく、格差の上の方に存在する人々は自分の社会的地位を守ろうと躍起になり、格差の下の方に存在する人は強い劣等感や自己肯定感の低下を感じることになる。
人々は攻撃的になり、信頼感が損なわれ、差別が助長され、コミュニティや社会のつながりは弱くなる。強いストレスにさらされ続けた人々は、その結果として健康を害したり、死亡率さえも高くなったりする。これらの影響は、社会の底辺の人々のみならず、社会のどの階層の人々にも及ぶ。(127ページ)

「いちばんしんどい人に焦点を合わせた社会は、すべての人にとって暮らしやすい」
そんな視点を一人一人が持てば、国や企業のあり方も変わってくるんでしょうが。。

日本の企業の25%が、女性の雇用に対して、「育休や産休を取るくらいなら、やめて欲しい」と考えているというニュースがちょっと前にありましたが、そんなことを考えているからダメなんだろ?って言ってやりたいと思いました。離職するのは一定期間なのに、近視的なものの考え方自体に問題ありでしょう。
不況で財務体質が危ぶまれる企業も多いからそんな結果にはなったのでしょうけど、そんな考え方をしてしまう根底には「格差」社会が広がっていることも影響があるのかなって、上の2冊を読みながら考えていました。

そうだとしたら、とっても身近な問題ですよね。

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