オフィスで「くん」「ちゃん」付けする人に思うこと
職場で常々思っていることの一つに、年下の者を「さん」付けではなく、「くん」「ちゃん」付けで呼ぶ人ってどうなんだろうっていうこと。
わたし自身は、職場というのは公の場であるので、年齢や肩書きに関係なく誰でも「さん」付けで「ですます」口調で話すべきだと思っている。
同期だとか、ごく親しい者との間で「くん」「ちゃん」で呼ぶのはいいのかもしれない。
けど、オフィスアワーに上司への報告などで「○○くんが」などというのは変でしょ。
ひいき目に見て、親しみからそう呼んでいるのだとしても、いい大人になって「うちのお母さんが」って言うのと同じようなレベル。
どうしてそれに不快感を覚えるかいうと、「くん」「ちゃん」というのは子供あるいは目下の者に対して付ける呼称だと思うから。
「くん」「ちゃん」付けは相手が「自分より下である」という認識が根底にあるからこそ、そういう呼称になるのでしょう。
同じように、自分より肩書きが上の人には敬語で話すのに、下の人にはタメ口で話す人にも嫌悪感を覚える。
そういう人はいくら仕事ができても、人として尊敬はできないなっていつも思っている。
そんなことを思っていたら、同じように思う人がいるみたい。
公衆の面前で、年下の人を「君付け」する人は仕事ができない - ihayato.書店 | ihayato.書店
「仕事ができない」はちょっと言い過ぎでは?と思ったけど、彼の仕事のできない人の定義は、周囲の創造性を発揮させることができるかどうかということのようなので、その意味では相手を対等に扱えない人は仕事ができないと言えそうだな。
わたしの周りには、自分より立場や年齢が下の者にタメ口をきく人が多すぎるせいで、たまに役職に就いているにもかかわらず誰に対しても丁寧な口調や態度で接するおじさんを見ると、いい人だなって思ってしまう。
ちゃんと向き合ってくれる人に対しては、仕事しよう!って思えるし。
前にも書いたけれど人間の大きさとお金との相関関係 - OkOgeのブログ偉くなる人には偏見が少ないと思う。
フラットに付き合うということは、自分のこだわりを捨てることでもあるので、人の意見を受け入れやすくなることにもつながる。不要な軋轢を生むことのないように気配りができる人でもあるんじゃないかな、と。
組織でなくても、社会で生きていくには必要のない不快感を相手に与えることのない気配りのできることが求められるのかも。
いくつになっても今思っていることを忘れないようにしよう♪