OkOgeのブログ

地方で楽しく生活することをテーマに日々あったことをつづります。

おもしろくて、誰かのためになる仕事ない?

大阪市長の橋本氏が始めた大阪維新の会、予定以上の塾生を受け入れることにしたというニュースが報道されていましたね。

先日、わたしの直属の上司が「橋本市長、自分たちを坂本龍馬になぞらえて船中八策だなんて、調子こいてると思わない?」という雑談をしてきました。

理由を聞いてみると、彼曰く、そういうふうに大言を吐くようになる人や組織はバッシングを受けていずれダメになるからだそうです。
で、興味あるんですか?と聞いたところ「お金になるなら考えてもいい」と、のたまっていました。


わたしは正直なところ、大阪維新の会に関してはこれといって関心はなく、ニュースで応募者の中には企業の役員や地方議員、中央官僚も数多くいるというのを聞いて、その人たちはメインの仕事はどうするのかな?と思ったくらいです。

素人目線であえて言うならば、確かに自分たちを坂本龍馬になぞらえる不遜さはさておき、職業的熱意にあふれていてすごいなと思っています。
こういう人たちがすごいなと思うのは、自分の生活圏を離れた利害についてまで本気で考えて(いるであろう)、現状を変えようという強い意志を持っているところです。わたしにはとても真似はできません。何かを変えることの課程には、反対勢力を説き伏せることも含まれていて、そういう根回しに一番労力を使うことになるでしょう。わたしはそういうのはおもしろくないのでやりたくありません。自分がおもしろいと思うことにしか熱意は燃やせないのでw


購読しているイケダハヤトさんのブログに次のような記事がアップされていました。
「防衛本能」としての社会貢献意識の高まり
http://www.ikedahayato.com/?p=5969

「お金にはなりにくいけど、誰かのためになる仕事」をすることが自分のセーフティーネットになる。という考え方に、とても共感しました。
残念ながら、それを実体験として持っているわけではないのですが、そういう活動に関心があって、それをやる意味はつまりそういうことなんだよな、と。

少し前のイケダさんの記事に、「労働の全てをお金に変えるのはもったいない」というエントリがありました。趣旨はたしか、労働が全てお金に換算されてしまうとかえってモチベーションは下がる。お金にならないところで創造的なアイディアは生まれるものだから。というものだったと思います。

この考えは、きわめて理想主義的です。「みんながそうできればいいけれど、そんなきれい事だけじゃお腹はいっぱいにならないんだよ」と前出の上司なら言うでしょう。
そのとおり。お金は大事です。
わたしだってボランティアとかNPONGO活動に関心はありますがなぜやっていないのかというと、それだけでは生活が難しいと思うからです。
だから、使用済み切手を送るとか、寄付金のついた何かを買うといった間接的な活動でしか携わったことはありません。
まずは自分が大事です。扶養家族を持つ人はなおさらでしょう。

それでも、何かを始めることの第一の基準が「お金になるかどうか」というのは人としてショボいと思ってしまうのはわたしだけでしょうか?
自分とその家族しか見えてないという近視眼的発想。
さらに自分ができないことをしようとしている人を批判することも。

日本では誰かのためになる仕事が、一部職種を除いて社会的地位を十分に確立できていないことにも問題があるでしょうね。
ある程度まとまったお金が得られなければ、モラルの維持や他を顧みる余裕は生まれないでしょう。
「軍人の給与を3倍に引き上げたロシアの真意」
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/34556

わたしには、「日本のために!」なんていう大志はありません。かといって自分だけが良ければという発想も嫌いです。
できれば、自分の年収と時間の数パーセントでも、「おもしろくて」且つ「誰かのためになる仕事」に使うことができればいいなと思っています。
「おもしろいかどうか」はとっても重要です。

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大阪維新の会について今回初めて見てみました。
社会保障制度改革の、年金を掛け捨て制と積み立て制の併用にするっていうとこは、応援したいなと思います。でも積み立てにするなら、徴収せずに自己責任でやれば?って思いますけど(^^;)
文藝春秋日本の論点PLUS
http://www.bitway.ne.jp/bunshun/ronten/ocn/sample/thisperson/120216.html